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横浜地方裁判所 昭和40年(ヨ)338号 決定 1965年12月08日

申請人 棟方寿彦

被申請人 二国機械工業株式会社

主文

一、申請人が被申請人に対して提起すべき本案判決の確定するまで、仮りに、申請人が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを定める。

二、被申請人は申請人に対して、昭和四〇年二月一日以降右本案判決の確定するまで毎月末日限り、金二万円を仮りに支払え。

三、申請人のその余の申請を却下する。

四、申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、申請の趣旨

申請代理人は、「一、申請人が被申請人に対し、雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮りに定める。二、被申請人は申請人に対し、昭和四〇年一月一日以降毎月末日限り、金二万円を仮りに支払え。」との裁判を求めた。

第二、当裁判所の判断

一、申請人が昭和三九年四月二一日被申請会社に雇い入れられ、三カ月間の試用期間を経て同年七月二一日本採用となつたこと、申請人が被申請会社に雇い入れられるに当り、同会社に対し、申請人の職歴として、実在しない川田製作所株式会社という事業所に製造部所属従業員として昭和三五年一一月から昭和三七年一二月まで勤務した旨記載した履歴書を提出し、かつ入社前の面接においてその旨口頭で述べてその職歴を詐つたこと、被申請会社は調査の結果右経歴詐称の事実を発見し、昭和三九年一二月二六日申請人に対し、経歴詐称を指摘し、任意退職を要求したが、申請人がこれを拒否したため同会社従業員就業規則七七条一号を適用し、申請人の右経歴詐称行為は就業規則にいう「その他経歴を偽り‥‥雇い入れられた者」に該当するものとして申請人を懲戒解雇に処する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

二、本件第一の争点である経歴詐称を理由とする懲戒の合法性につき判断する前に、懲戒そのものの本質、更にその前提として経営秩序について考える。

資本制社会の企業においては、生産手段を資本とし、労働力の利用を媒介として利潤の追求をなすものであるから、企業主ないし使用者は、労働力の担い手である労働者を雇い入れるとともに、生産手段との関連において労働力の合目的的活動秩序を設定せねばならず、これがすなわち経営秩序であるが、いわゆる企業主ないし使用者の懲戒とは、企業がより多くの利潤を生むのにより効果的に生産手段及び労働力の機能を適応させるよう経営秩序を形成維持するために事実上必然的に要請されるところの、経営秩序違反労働者に対して加えられる制裁であり、企業の統一的利益の侵害という観点からなされる、支配者たる使用者から被支配者たる労働者に対する組織上の責任追及の方法である。

そして使用者が就業規則を制定して経営秩序を設定し、その違反者を懲戒することは、現実には多数の生産手段の所有権の結合=資本に根ざすところの多数の生産手段と労働力とを単一体に組織化しこれを管理運営する権力としての経営権の実行として行われる。もとより右経営権は、それ自体が生産手段所有権の機能概念であつて、法的概念ではないのであり、経営権の実行がそれ自体として法的許容を得ているわけではないし、経営権が労働力に対して機能するといつても、労働力の担い手である労働者という自由意思主体を対象とするから、直接に支配力を行使することはできない。

そこで右のような経営権の実行として行われる懲戒の法的根拠につき思うに、個人の自由平等を基本的原理とする近代市民法秩序のもとにおいては、支配者が被支配者に対してなす不利益処分という懲戒の性質上労使間の合意に基づかなければならないことは当然であり、企業において懲戒条項をも含めた就業規則が定められている場合に、労働者は、使用者の就業規則周知義務(労働基準法一〇六条一項)との関連上、就業規則の内容についてこれを了知する機会を十分与えられているのであるから、使用者の下で黙つて働いている以上就業規則所定の労働条件を肯定したもの、すなわち労使間において就業規則所定の労働条件に従う旨の合意がなされたものというべきである。

三、しかし、使用者の懲戒権の行使の法的根拠として、就業規則を媒介にした労使間の合意があつたとしても、懲戒が、元来企業の従業員に対し、企業秩序の紊乱、企業の生産性への反価値的評価を原因としてのみ課せられる不利益処分であるとのその本質に変りはない。

そうだとすれば、経歴詐称を理由とする懲戒権の発動につき考えると、経歴詐称をもつて直ちに企業秩序をみだすものとして、企業秩序維持のための矯正手段である懲戒処分をもつて臨むこと自体問題がある。なぜなら企業秩序をみだすとかみださないとかは、労働契約によつて労働関係が成立した後の労働者の債務履行の態度にかかわるものであつて、労働者が詐術を用いて企業に入りこむこと自体とは当然には結びつかない。経歴詐称は労働関係成立前の所為であり労働契約締結にかかわる問題なのである。

もとより労働契約は、当事者双方において信義則に従つて締結されなければならないことはいうまでもなく、企業の従業員になろうとする者が経歴詐称という欺罔手段を用いて労働契約を成立させることは、信義則上の真実告知義務に違背し違法であり、そのような違法行為に出た労働者が、労働契約について民法上の無効、取消、損害賠償等をもつて相手方である使用者に対抗されることのあるのはやむを得ないところである。

しかし懲戒の本質を企業秩序維持のための組織上の制裁と解するならば、前述のように労働契約締結にかかわる問題である経歴詐称という信義則違反行為をもつて直ちに懲戒権発動の対象となし得るものではなく、懲戒権の発動は、労働者が詐称行為により企業の賃金、職種、地位その他労働条件の体系を紊乱し、企業の完全な運行を阻害するなど企業秩序に対し具体的な損害ないし侵害を及ぼした場合にはじめて、かつその程度に応じて許されるものと解すべきである。

もつとも、労働関係における人的支配服従関係を強調し、また労働関係が組織関係であると同時に継続的関係であるところから、一回の給付行為によつてその目的を達する交換関係の場合よりも強度の信頼関係を必要とすることに着眼し、経歴詐称自体をもつて、ただちに使用者の信頼に対する裏切りであるとか、使用者のなす労働者の人格判断を誤らせるとかの理由で懲戒を肯定する見解もみうけられる。

しかし労働関係は労働力の給付を中心としてなりたつ関係であり、人的な支配関係、信頼関係もその限りにおいて是認されるものであつて、右の見解は労働関係を、身分法上の関係と同一次元においてこれを全人格的な関係として把える嫌いがあるのを免れず、労働関係における人法的要素を不当に拡大したものとして容易にこれに従うことはできないのである。

四、以上の見地に立つて本件を検討する。

疎明によると、被申請会社においては前記懲戒解雇規定を含む就業規則が、昭和三九年四月二一日以降同年一二月二六日までの間においても制定施行されていたこと、申請人が右期間中何ら異議なく被申請会社に勤務していたことが認められ、従つて申請人は右就業規則に従う旨被申請会社との間で暗黙の合意をなしていたといえるけれども、右就業規則中経歴詐称に対する制裁を定めた同規則七七条一号に基づく被申請会社の懲戒権の発動も前述のような要件を備える限りにおいて法的に許容されるものと解すべきであるから、申請人が川田製作所に勤務していたとの経歴詐称自体をもつて、同条同号に該当し、被申請会社の企業秩序をみだしたとして懲戒権を発動し得るとの同会社の主張は採用しえない。被申請会社が工業用、家庭用ポンプ、八ミリ映写機、光学機械等の製造販売を業とする会社であることは当事者間に争いがなく、疎明によると、被申請会社は昭和三九年四月当時、人手不足のため旋盤工、フライス工、組立工等に欠員を生じ、これら各工について求人広告をしていたところ、申請人が右求人広告に応じて被申請会社の面接を受けたが、その際川田製作所において測定器類の試作に従事している旨虚偽の事実を申告したことから、被申請会社はこれを信用し、川田製作所が、被申請会社の製造販売する商品と類似のものを扱つている実在の企業であり、かつ申請人が被申請会社の要求していた組立工類似の職種に従事していたものと認めたこと、被申請会社は従業員の賃金額を、年令、経験、学歴等を総合勘案して決定することにしており、申請人を試用及び本採用するに際しその賃金額を決定するのにも、申請人の川田製作所における前記経験を或る程度考慮し、被申請会社において賃金額決定に関する右諸基準によつて昭和三九年四月当時作成された「中途採用者の理論月収決定基準」なるグラフにあてはめてその賃金額を割り出していること、申請人の右賃金額は、申請人と入社時期をほぼ等しくし、同一学歴、年令であるが未経験の他の中途採用者について、前記賃金額決定基準によつて割り出された賃金額と比較すると日給にして一〇〇円多額であること、被申請会社は申請人に対し、右のような賃金を試用後本件解雇に至るまで支払つてきたことは認められる。

しかし、被申請会社は、前認定のように申請人を試用として雇い入れた当時、組立工以外にも欠損を生じていた旋盤工、フライス工等を募集していたものであるところ、反対疎明によると、同会社は申請人の試用前の面接の際、同人から旋盤に従事したこともある等の経歴をきいているのに、申請人に対し、右面接の際も、試用、本採用に当つても、組立工として試用ないし本採用するとの点につき何ら触れておらず、実際にも申請人を三カ月の試用期間中倉庫係としてのみ配置勤務させていたし、本採用に当り申請人と締結した労働契約の内容を記載したと認められる労働契約書には、申請人の業務種類として倉庫課業務と記載されており、賃金としては、同会社が申請人の詐称経歴を基準の一として決定したと主張する賃金額が記載されていること、被申請会社は右契約書記載どおり、申請人を本採用後本件解雇に至るまで、倉庫課員としてのみ勤務させていたことが認められるのであり、以上の事実に、被申請会社が申請人を試用として雇い入れる当時倉庫課員についても欠員を生じていたこと及び、右雇い入れに当り、申請人の履歴書及び口頭の申告に基づき、同会社へ入社直前の勤務先である日東弗素工業株式会社に対し、申請人の同会社での職歴の真偽について照会したのみで、川田製作所についての職歴についてはその余の職歴同様なんら調査照会することなく申請人を雇い入れているとの被申請会社自認の事実を併せ考えると、被申請会社は申請人と本採用の労働契約を締結する際は勿論、試用として雇い入れるに際しても、申請人を組立工としての資格を備えたものとし組立工として配置する意図のもとにあつたとはいい難く、当座にしろ倉庫課員として配置することにしていたものであり、従つて申請人の賃金額も倉庫課業務に対応して決定されたもの、すなわち賃金額の決定に際して考慮された申請人の経験も右業務に意味を有する経験としてのものにすぎなかつたとみるのが相当である。被申請会社は、倉庫課欠員の関係上申請人を当座、同課に配置したが、同人を将来組立工として配置する予定であり、従つて同人の賃金額も、組立工に類似する測定器類の試作という詐称職歴を考慮して決定したとの同会社主張事実に符合する疎明資料は、到底信用できない。

もとより倉庫課に配置するといつても、同課勤務につき評価に値する経験を考慮して賃金額を決定することは考えられるところであり、現に被申請会社においては申請人の詐称職歴を何らかの程度、考慮してその賃金額を決定していることは前認定のとおりである。しかし反対疎明によると、申請人が配置された倉庫課の業務内容は、倉庫内に納められたポンプ、カメラ、八ミリ映写機等の部品等を管理し、会社内の作業場に運搬配布し、外注先に出荷する等であつたこと、申請人は被申請会社に対し川田製作所に勤務したと詐称した当該二年余の期間、株式会社東京軽合金製作所に製造部管理課検査係として勤務していたものであること、右東京軽合金では、日本光学の下請として光学関係器具を製造しており、被申請会社が組み立てている万能投影器の製造も行つていたこと、申請人は東京軽合金においてこれら器具の製作、検査に従事しており旋盤をしたこともあること、従つて申請人は被申請会社において扱われている光学関係の製品または部品について相当の知識経験を有していたことが認められる。

申請人の配置された倉庫課業務の内容が右認定の如きものである以上、右業務につき賃金額決定の一基準として評価の対象となる経験内容は、申請人の東京軽合金における右認定のような経験内容をもつて一応十分であると認められ、更に本件主張の全趣旨を併せ考えると、申請人の右程度の経験内容をもつて、倉庫課業務についての評価の対象となるべき経験内容の上限とみるのが相当である。

従つて、被申請会社が申請人を試用及び本採用するに際し、倉庫課業務に相応する賃金額を決定するのに、申請人の詐称経歴を考慮したといつても、該経験は前認定のような申請人の経験程度のものであつたとしか推認せざるを得ない。

このようにみてくると、申請人の川田製作所勤務及び同所での測定器類試作従事という経歴詐称行為が、信義則に違背した違法なものであり被申請会社は申請人の右詐称行為により賃金額を決定支払つていたけれども、労働力評価の基準として通常形式的に判断される学歴等と異り、職歴において重要なのは経験内容及び期間であるという点からしても、申請人において被申請会社が本件賃金額決定の一基準とした経験と、その内容及び期間において実質的にほぼ同一の経験を有していた以上、同人に対して被申請会社が賃金の過払をなし、同会社の賃金体系がみだされたとは認め難く、従つて申請人においてこの点の具体的企業秩序違反の結果を生ぜしめたとはいい難いのである。

五、被申請会社は、申請人が本件経歴詐称の外、従前勤務していた日東弗素工業株式会社に対しても、その職歴を詐称して同会社に入社した前歴を有する者であり、この点をも付加して同人の本件経歴詐称は、被申請会社の信頼関係ないし企業秩序維持上、懲戒解雇に値するものであると主張しており、申請人が右主張のような前歴を有することは疎明があるけれども、前述のとおり労働関係における信頼関係を身分法的な信頼関係と同一視することは正当でなく信頼関係の破壊による企業秩序違反というには、当該労働者の経歴詐称により使用者をしてその者の労働力の価値自体につき不安を抱かしめ、ひいては企業内における秩序ないし労務管理を混乱させた場合でなければならないというべきであるところ、申請人において前認定のような経験を有している事実被申請会社が申請人を本採用したまでの経緯、配置関係等前認定の事実に照らせば、申請人の本件経歴詐称及び右経歴詐称の前歴をもつて被申請会社の信頼関係を企業秩序違反といえる程度にまで破壊したものということはできない。

六、以上みたように、申請人が本件経歴詐称により具体的な企業秩序違反に結果を生ぜしめたことにつき他に疎明のない本件懲戒権の発動は、その基礎が備わつていないものであり、懲戒処分と企業秩序違反態様との均衡の問題を検討するまでもなく、懲戒権の濫用としてその効力を生じないものといわざるを得ない。

七、以上の次第で、本件解雇の意思表示は不当労働行為の成否を論ずるまでもなく無効であり、他に申請人と被申請会社の雇傭関係を終了させる事由の認められない本件においては右当事者間には従前の雇傭関係が存続しているというべきである。そして疎明によれば、右当事者間には毎月少くとも二万円の賃金を、遅くとも毎月末日には支払う旨の約定がなされていたこと、被申請会社が本件解雇の意思表示後、申請人の労務の提供を拒みその限りにおいて申請人の雇傭契約上の債務の履行が一時不能となり、また被申請会社が昭和四〇年二月分以降の賃金を支払つていないため、現在申請人が被申請会社に対し、一月少くとも二万円の割合により同年二月以降現在までの賃金支払請求権を有し、右と異る事情のない限り今後毎月末日には少くとも右同額の賃金支払請求権を取得しうることが認められる。なお申請人が仮りに支払を求める昭和四〇年一月分の賃金については、本件解雇に当り被申請会社が予告手当として供託しておいたが、申請人において既にこれを同月分の賃金として還付を受けていることが認められるので、申請人の該賃金支払請求権は既に存しない。

八、そこで保全の必要につき検討するに、申請人が、被申請会社を唯一の職場としてその得る賃金によつて生計を維持していたことは疎明により一応推認し得るところであり、前記のように申請人に対する解雇の意思表示が無効であるのに、申請人が被申請会社より解雇されたものとして取扱われることは、現下の社会経済事情において甚しい損害にして容易に回復し得ないものと一応考えられ、被申請会社においてこれを左右するべき事情については何等特段の疎明がないから、申請人について被申請会社との前記法律関係につき本案判決の確定するまで仮りに右法律関係を設定する必要があるものといわざるを得ない。

よつて申請人の本件申請は右認定の限度において理由ありと認めその余を却下すべく、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 森文治 田辺康次 門田多喜子)

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